モザンビークの小農運動が求めるもの

モザンビーク小農が語る「100%小農」「地球の守護者」

モザンビークは1975年までポルトガルの植民地支配下にありました。モザンビークの小農は、連帯し、武器を手に取り、世界と繋がっていくことで、植民地を手放したくないポルトガルと白人政権下にある南部アフリカ諸国、それを支える米国などのNATO加盟国から、自らを解放し、奪われていた土地を回復しました。

そのため、独立してから45年が経過する今日においても、モザンビーク小農は、自ら回復した「主権」と「連帯」を非常に重視します。また、小農であることに大変誇りを持っています。

来日する小農運動のリーダーたちが必ず口にする自己紹介文があります。
「私は100%小農です。私は自分の手と鍬で●人の子どもを育て、学校にやりました」

また、プロサバンナ事業への最初の反対声明で、モザンビーク北部の小農は自らを「地球の守護者」と表現しました。

この言葉を裏付けるだけの知恵と工夫と努力を、日々、何世代にもわたってモザンビークの小農が積み重ね、それを誇りに思っていることが、分かるかと思います。

もしこれが分からなければ、モザンビークの小農が、なぜ援助事業に反対し続けるのか、理解することは大変難しいでしょう。自らの主権、とりわけ土地の権利や尊厳を脅かす政府の姿勢や外国勢力への厳しい目線は、今なお忘れがたい植民地支配と十年に及んだ解放戦争の経験と記憶からきているのです。

「日本が『救ってあげる』べき存在」なのか?

日本では、「アフリカの小農」というと、貧しくて救ってあげなければならない存在だと思いがちです。実際、プロサバンナ事業をめぐっても、JICAや外務省はいつもそのような発言をします。

ブラジル・セラード開発賞賛、投資やアグリビジネス中心の事業への批判が強まった後、JICAや外務省は、「小農支援」を主張するようにはなりましたが、その際も「小農は救わなければならない存在」という前提を手放してはいません。

しかし、日本の私たちは、本当にモザンビーク小農を「救ってあげる」立場にいるのでしょうか。2018年11月に、日本・モザンビーク・ブラジルの小農・市民が集って行われた第4回「3カ国民衆会議」(東京)では、この点への疑問の声が、特に日本の小農から多く寄せられました。

課題に直面する日本の農政〜3カ国民衆会議で学んだこと

民衆会議では、参加した多くの日本の小農が、日本で推し進められてきた「農業の近代化」の手法や「上からふってくる政策や制度」の問題を指摘しました。そして、現在の日本の農政が、農家と農村を護るための方策を欠くばかりか、世界的に進むグローバルな食と農の支配を強め、地方の過疎化を加速化する一方で、意欲ある若者新規就労者が苦境を強いられている状況が報告されました。

とりわけ、これらの日本の若手や中堅が、自らの主体的な発意に基づく試みを政策的に後押しされていないばかりか、ミスマッチな政策や制度、規制、企業の農村への参入奨励などで、主体的な試みが阻まれている現状も紹介されました。さらに、生物の多様性の劇的な喪失、気候変動による異常気象が頻発しているにもかかわらず、永続可能な(サステナブル)農業への転換が目指されず、むしろ農薬や遺伝子組み換え種子の規制の緩和など、日本が世界潮流を逆走していることが指摘されました。

さらに、日本の農村や小農にとってマイナス面の多い政策ばかりが導入されている背景に、農民同士の横の繋がりやグローバルな運動との連携が不十分で、このような政策のあり方に対抗する力が弱い点が指摘されました。

モザンビーク小農運動が目指すビジョン:
「食の主権」とは?

以上の報告を受けたモザンビーク小農運動の女性や男性のリーダーたちは、自分たちがモザンビークでプロサバンナ事業を通じて、日本やブラジル政府から押付けられ、直面してきた課題が、日本における小農の苦境と地続きであると理解しました。

その上で、モザンビークの小農が、どのようなビジョンをもって、これを乗り越えようとしてきたのかが披露されました。

それはつまり、小農と農村コミュニティの手の中に食と農のコントロールを取り戻すということでした。これを、彼女ら彼らは「食の主権(Food Sovereignty)」という言葉で表現します。

「食の主権とは、エコロジカルに健全かつ永続可能な方法で生産された、健康的かつ文化的に適切な食を獲得する権利であり、多国籍企業等の儲けを優先するのではなく、自らの食料と農のシステムを定めるための権利です」
ニエレニ宣言、マリ共和国セリンゲ、ラ・ヴィア・カンペシーナ、2007年

食料が足りないから援助を受ける、あるいは収量が不十分だから外部からの資機材を持ち込んで農業を近代化するという発想ではなく、食と農の主導権を自らの手の中に取り戻し、必要なものを自らが判断し、主権者として政治や政策形成に参画しながら実現していくというものです。

この「食の主権」の考え方は、世界最大の小農運動であるビア・カンペシーナが育んできたものですが、2007年に「ニエレニ宣言」として昇華されました。その後、国連機関、世界各地の政府機関や企業を含む様々な主体に影響を与え、例えば世界的なコスメ企業のLushもこれを理念として掲げています。また、2018年12月に国連総会で採択された小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言(国連小農権利宣言)にも、「食の主権」が取り入れられました。

そして、プロサバンナ事業に反対するモザンビーク最大の小農運動UNACもまた、ビア・カンペシーナの加盟団体として、国内外で「食の主権」を掲げています。

モザンビーク小農運動が取り組む「アグロエコロジー」

「食の主権」を実現する手法として、UNACやビア・カンペシーナをはじめとする世界の多くの小農運動や農家が取り組むのが「アグロエコロジー」です。自然との調和の中で、食と農を営んでいく試みです。

ただし、「アグロエコロジー」という画一の手法があるわけではありません。自然との調和の中での食と農の営みが目指され、世界各地の風土で育まれた知恵や種子を科学的な知見を用いて発展させる手法であり、これを試みる地域や人の数だけ種類があるとも言えるでしょう。

日本では生産手法だけが注目されてしまうのですが、「アグロエコロジー」は、グローバル規模で種子と農業投入財(化学肥料や農薬や農業機械など)や生産物の買い取り(契約栽培など)などにおける支配が進んでいく中、これを拒否し、土地や水、種子へのアクセスなどの農業に不可欠な基盤と生産手法のコントロールを自らの手の中に取り戻し、自然に助けてもらいながら自主的かつ自律的な生産と暮らしを護ろうとする運動でもあります。食と農へのグローバルな経済の影響が極めて強いラテンアメリカなどで、この運動は育まれ、その後危機に直面した地域・国などで広がっていきました。つまり、「ビジョンをもった抵抗の手法」として、小農らが育み、世界に広めてきたのです。

また、ビア・カンペシーナは「アグロエコロジーは地球を冷やす」として、地球温暖化の元凶の3割を占める工業的な農業の転換を呼びかけてきました。

そして、ついに2012年、国連食糧農業機構(FAO)は、「アグロエコロジー」を世界に普及するための国際会議を開催し、以降地域ごとの会議と世界大会を開催し続けています。

公平さの実現と連帯こそが社会を変える

「食の主権」も「アグロエコロジー」も、それを実現するプロセスで、土台としているのが、当事者である小農同士、あるいは小農が生産したものを食べる人、あるいはビジョンを共有し、そのような輪を世界大に広げようとする人との連帯による運動です。

誰かが小農の代わりに決定したり、指図したりするのではなく、小農が公平・対等な立場で話し合って決め、連帯に基づいてそれを推進することを、行動倫理として重視しています。もちろん、それは非常に難しく、厳しいものです。

近年のモザンビークや世界の小農運動は、問題は外から押付けられる差別や抑圧、支配の構造だけではなく、国家内、地域内、農村社会、農家内、運動内の不公平な関係にもあるとの自覚を育んできました。そこで重要な役割を果たしたのが、女性や若者の運動でした。

これらの小農女性や若者の運動内、社会内、地域内、世界における公平で民主的な意思決定プロセスの実現への献身的な取り組みこそ、モザンビークと世界各地の小農運動の発展をもたらし、国連で小農権利宣言が実現される原動力になったのです。

小農が国家と世界を変える

以上のビジョンや取り組みは、各々の家庭・村・地域内にとどまらず、国家や世界にも向けられています。それは、どんなに遠隔地にいても、ある日世界のどこかの会議室で決められる投資や融資によって、主権者であるはずの小農から土地や水場、森が奪われる現実がもう10年以上続いているからです。この中に、プロサバンナ事業も含まれます。

このようなことが起る背景に、民主主義の停滞やガバナンスの悪化、グローバルマネーと結びついた政府関係者の腐敗があると、小農たちは気づいています。そのため、UNACもビア・カンペシーナも「小農は闘いをグローバル化する」とのスローガンを掲げているのです。

モザンビークの小農が日本に来て、日本の政府やJICAだけでなく、市民や納税者、国会議員に語りかけようとするのは、連帯を通して「闘いをグローバル化」することで、よりよい世界と国家が築けると理解しているからです。そして、その「国家」には、自分たちが暮らすモザンビークだけでなく、日本の社会や国家も含まれています。

日本の援助を要らない、という意味

プロサバンナ事業に反対するモザンビーク小農は、自分たちに足りないものが沢山あることを自覚し、「あれもこれも必要」という想いはあるものの、あえて「援助は要らない」と断言します。

むしろ、同じ地球・世界に暮らす同時代の仲間同士として、国境を越えた連帯に根ざした、公平で対等なる関係性の中で、互いを支え合いたいと、いつも語っています。つまり、彼女・彼らは、一方的な「あげる・もらう」関係を欲していないのです。しかし、プロサバンナ事業では、JICAが「小農支援」を言い始めてから、事業への反対の声を封じ込めようとの意図の下、「あげる・もらう関係」の強要が続いています。

モザンビーク北部の小農の日本への反発の根っこには、日本の官民や同事業が進めてきた開発計画によって、土地や水源、森林が奪われ、種子まで奪われ、化学物質による汚染まで引き受けさせられようとしていることがあります。そして、事業に異議を唱えたことによる人権侵害も同様です。

しかし、最近のJICAに顕著にみられる、小農運動が長年にわたり目指してきたビジョンや行動倫理への無理解とそれを傷つける数々の言動(嘘・情報歪曲や介入・分断活動)に対する不信感と嫌悪が、抵抗の原動力になっています。

通じない「主権と尊厳へのリスペクトを」

モザンビーク小農リーダーらは、来日のたびに、JICAや日本政府に対して、「援助でメリットをほしい」という話でなく、「尊厳と主権をリスペクトしてほしい」と強調します。しかし、これは政府関係者だけでなく、一般にも、なかなか理解されません。

なぜ小農運動リーダーが「尊厳と主権」を物資的なメリット以上にこれを重視するのか分からないとすれば、それはモザンビーク小農のせいではなく、主権や尊厳に無自覚で、闘ってでも護ろうとしない日本の私たち自身の問題なのでしょう。

モザンビーク小農が求めるもの

以上、モザンビーク小農運動がこの間求めてきたことをまとめると、次のようなものになります。

  1. 自らの主権と尊厳がリスペクトされ、助け合える社会、国家、世界
  2. 「食の主権」が実現すること
  3. アグロエコロジーをより深めるとともに広げること
  4. これらのビジョンや目標の達成のために小農同士、その他との公平で対等なる水平的な関係に基づく連帯を育むこと

特に、モザンビーク外の援助・投資国の市民に対しては、まずは自国で以上の努力を困難にするような援助・投資を止めるための活動をお願いしたいとの希望があります。また、このような援助や投資がなされる背景には、これらの国の市民社会自体が弱く、民主主義に課題があるからだとの認識を、彼女ら彼らはもっています。

その上で、彼女ら彼らがやろうとしていることを、隣人として仲間として、その希望するペースと手法で応援することが、一番の望みであるということかと思います。

寄稿:舩田クラーセンさやか
(明治学院大学国際平和研究所/モザンビーク開発を考える市民の会)